あなたも経験があると思いますが、「この人に言われると妙に納得してしまう」ってこと、結構ありますよね。
たとえ、話す内容が同じ内容であっても、話す人が変わると伝わり方や納得度合いって変わるんですよね、不思議なことに。
人がいくら正論を言ったところで、何も伝わらないなあ。。と感じることがありました。
コロナ禍のパンデミック状態で東京オリンピックをやる、やらないという論争が繰り広げられている中で、
内閣官房参与だった高橋洋一氏は
「日本はこの程度の『さざ波』。これで五輪中止とかいうと笑笑」
と発言したのは大きな話題になったので、ご存知かと思います。
日本はこの程度の「さざ波」。これで五輪中止とかいうと笑笑 pic.twitter.com/Q6JvZCOTUa
— 高橋洋一(嘉悦大) (@YoichiTakahashi) May 9, 2021
これ、「命を何だと思ってるんだ!」ってさんざん多くの批判を受けたのはニュースでかなり話題になりましたよね。
「コロナで命を落とした方のことを考えろ!」「不謹慎だ!」との論調が多数を占めていたように記憶しています。
この「一件」の後、高橋洋一氏は内閣官房参与を自ら辞任しています。
たしかに多くの反感を買ったツイートでしたが、あえて冷静にこの投稿内容を見てみてください。
投稿に使われている世界の主要国のコロナ感染者推移グラフをよく見てみると、日本の推移は他国の推移に比べてみると
「たしかに『さざ波』」
と言えるのではないでしょうか。
ツイート投稿に載っているグラフを表現するなら「さざ波」というのはある意味正論と言えるかと思います。
「さざ波」という表現はこのグラフの客観的事実を隠喩的に表現したものに過ぎず、
「コロナで苦しむ人や亡くなった方を冒とくする」とまでは言いづらいし、そこまでの意図は感じられませんよね。
では、なぜあれほどまでに高橋洋一氏の投稿が叩かれたか??
その答えは投稿された文章の「さざ波」ではなくて、
これで五輪中止とかいうと笑笑
この「笑笑」の、あたかも小ばかにしたようにせせら笑っているかのような表現に尽きると思います。
正論を言う人って頭が良すぎて他人をバカにしてしまう人も世間ではよくいますよね。
高橋洋一氏がそうだとは言ってませんが、コロナ禍による混乱状態にある世の中で、人々が心理的に非常に不安になっている時は
平時以上に人の気持ちや感情に寄り添う必要があるんですよ。
気持ちを分かってくれない人に、いくら正論吐かれても、あなたは聞きますか??
僕が学んでいる心理学「NLP」では、心の状態のことを「ステート」と呼びますが、
相手と信頼関係を築きたい時、心を通い合わせたい時は、このステートを合わせていく必要があるのです。
「さざ波」投稿も、仮に
「日本はコロナ禍で厳しい状況ですが、データから見れば「さざ波」というレベル。大変な状況に違いないが、他国よりまだマシでありオリンピック開催はやるべきだ」
という表現なら、あそこまで非難が殺到したでしょうか?
日本ののコロナ感染状況が他国に比べて「さざ波」であるという「正論」も、投稿を見た人と同じステートを持つことが出来なかったがゆえに、せっかくの正論が「水の泡」になってしまったという残念な例ですね。
つい最近も、元経済財政政策担当大臣だった竹中平蔵氏がテレビ番組の中で
「世論が間違ってますよ。世論はしょっちゅう間違いますよ」
と発言。
こちらもかなりのひんしゅくを買ってましたよね。
政府の公的役職につく人間が「世論が間違ってますよ。世論はしょっちゅう間違いますよ」などと民意無視を公言するのは職務上の一線を越えた態度。
公僕という意識が欠落した、封建時代の腐敗政商のような人間を政府の職に留めてはいけない。#竹中平蔵を政治から排除しようhttps://t.co/wr580pT8Hu
— 山崎 雅弘 (@mas__yamazaki) June 7, 2021
頭ごなしに「世論が間違っている」と言われたら、人々はどう感じるでしょうか??
偉くなると、そんなことも分からなくなるようです。
こういった要職につく人は、聞く人よりも高い場所から正論を吐く以前に、人々とステートを合わせることが最低限必要なんですよね。
正論を台無しにしないためにはステートを合わせる必要があるし、
ステートを合わせれば、自分の言いたいことも真意も伝わりやすくなる。。
ステートを合わせることの重要性はこのブログを記事を読んだあなたが一番おわかりでしょう。
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