人は、自分の夢や目標に向かって生きています。
でも、自分がまだ見ぬところへ行くわけですから不安が常に付きまといます。
時間軸で言うところ、今の立ち位置である現在地から過去に向かう過去には無いものを
未来側で手に入れようとしているわけですから、何らかの大きなパワーが必要となりますよね。
その正体が自己効力感と呼ばれるものです。
この記事では自己効力感を高めるコツについてお伝えしていきます。
歌手になりたいという数パーセントに賭ける意味
ある人とコーチングセッションをしていて、
私がこんな質問をした時のこと、
「本当にあなたがやりたいことって何ですか?」
そして、そのクライアントはこう答えました。
「私は、ステージで歌を歌って、みんなをハッピーにしたいことなんです!」
とても素晴らしい夢だと思いました。
でも、実際問題、「歌手になりたい」って親や友達に話したらどうなるか?
「そんなの出来っこない!」
「どれだけ競争厳しいと思ってんの!現実を見なさいよ!」
って言うでしょうね。いわゆる夢を壊す、ドリームキラーの出現です。
一方で、夢を実現させて歌手になっている人もたくさんいますよね。
そういった抵抗勢力の意見に耳を貸さず、自分の信念を信じ、その信念に自らガソリンをどんどん投入して、その夢を育てて、見事な花にして現実にした人たち。
自分が本当に成し遂げたいことに向かっていくには、
「自分にはそれが出来る」
「自分にはそれを形にする資格がある」
という自己効力感、英語だとエフィカシーと言ったりもしますが、
この自己効力感が大切になってきます。
自己効力感 VS 成功確率
そして、先ほどの歌手という夢を叶えたいと願う人に立ちふさがるドリームキラーの論拠となる
確率の存在が、この自己効力感の前に立ちふさがるワケです。
確率、、
つまり成功する確率のことですね。
明確なデータはありませんが、
歌手になる確率、テレビやメディアに出るレベルの歌手、いわゆる芸能人と呼ばれるレベルの存在になるには相当に低い確率なのでしょうね。
いや、それこそ感覚的に言えば、100人に2、3人レベル。
パーセンテージで言えば、数パーセントの難しさでしょう。
その数パーセントに挑むというのは、理屈で言えば、たしかに馬鹿げたことなのかもしれません。
「何を夢見てるの??現実を見なさい」と言ってる人だって、
親切心から言ってるんでしょうし、無視できない助言かもしれませんが、
この「確率」って、どこまで重要視すべきなのでしょう。
どこまで優先すべきことなのでしょう。
自己効力感が欠如すると人生に何が起こるか
そもそもですが、この自己効力感は、
夢や実現したいことを成し遂げるには必須なことなんですよね。
私はあるテレビ番組が印象に残っていてその話をしましょう。
高校野球で甲子園に出場を果たしたにも関わらず、
プロ野球を目指さず、会社員として別の道を歩んでいる人が出ていたのですが、
印象に残っているのは
「たしかに高校野球で甲子園まで出られたのは良かったけど、自分にはプロの世界でやっていける自信が無かった」
というその方のコメントです。
野球が上手かったけど、ほかにやりたいことがあったというなら話は変わりますが、
その方は野球に心残りがあったようで、本当は野球を続けたかったようですが、
結局のところ、「自分にはプロでやっていける能力が無い」と思いこんでいたようなのです。
でも、、これは私個人の見立てですが、
実績や紹介されていた素質を見る限り、プロ野球でもやっていけそうな気がしたのですが、
いくら周りが「きっと出来る」と言っても、本人が「自分には無理」と思いこんでいたのでは、
何も形になりようがありませんよね。
これは野球の話ですが、身の回りにも、歌がやたら上手い人って一人や二人、いますよね。
私の友達にも、格が違う上手さを持つ人がいました。「聞き惚れる」レベルのやつです。
「あんた、それだけ上手いんだから、歌手を目指したらいいじゃない!」
そういう話もしたことがありますが、
「そんなの絶対無理」と、さっきの野球を諦めた人と同じようなコメントが返ってきましたが、
いくら本人にその資質と能力が備わっていても、自らのリソースに疑念を持ち、信用を置いていないなら全く意味が無いのです。
一方で、それほど能力を持ち合わせていないにも関わらず
「絶対自分は出来る!一流のプロになれるはず」と根拠のない自信を持ち合わせている人のほうが
夢の実現に向けて歩みを進めていますよね。
もちろん実現するかどうかは、その人の能力が左右しますが、その実現の場に向かって進むという意味では、その根拠のない自信は間違いなくプラスに働きます。
能力が無い、とは言っても、その歩みの途中で、みるみるうちに能力を上げていって、成功確率をどんどん上げていくということも十分に考えられます。
ということから考えると、
「どれだけの能力があるか」ということより、「自分にはそれが出来る」という自己効力感があるかないかのほうが、夢や目標の実現には意味があるのではないか、ということが言えるかと思います。
実際に夢を叶えた歌手も、自らの過去を語るエピソードで、
「あれは根拠のない自信、勘違いそのものだった」という人もたくさんいます。
「勝てば官軍負ければ賊軍」という言葉がありますが、
結局、勝っちゃえばそれが正義になり、理屈など後付け出来るのです。
逆説的な言い方ですが、
根拠は元からあるのではなく、後から作る、、ということじゃないかなと思います。
だって「勝てば官軍」ですから。
打率.250(2割5分)のバッターがヒットを打つ確率が2分の1??
先日、プロ野球の試合をテレビで見ていた時の話です。
1点差で負けていたチームの攻撃の場面。
2塁、3塁にランナーがいて、一打、ヒットが出れば逆転となる絶好のチャンスです。
実況のアナウンサーがこう言いました。
「さあ、この絶好のチャンスでバッターボックスに入ったのは現在打率2割5分(.250)の〇〇選手!どうでしょうね~」
ここで話を振られた野球解説者がこう言いました。
「これはもうね、打つかどうか、確率は半々ですよ!50%!」と。
私は心の中で即座にツッコみました。
「いや、何言ってるの?!2割5分の打率の選手よ!打つ確率は4分の1でしょ!」と。
そう思いながら見ていると、その選手はこのチャンスで見事ヒットを放ち、
2人の走者がホームを踏み、逆転に成功したのです。
その時、我に返って思ったのです。
普段はコーチングで、「自分を信じろ」とか言ってるのに、結局、確率論に思考が支配されていたな~、と。
ヒットを打ったから言うわけではありませんが、
たしかにその場面では、バッターが打つ確率は「ヒットを打つ」か「凡打する(打たない)」かの半々だったのです。
「2割5分」というデータは過去のデータでしかありません。
未来を必ずしも見越したものではないでしょう。
それは、「未来は過去の延長線上にある」という前提に立ったものです。
均質な作りのサイコロで1の出る確率なら、過去の延長線上に未来を置いてもいいでしょうが、
日々成長したりスランプに陥ったりする生身の人間にはこの確率論は当てはまらないのです。
だから、さっきの野球の試合のチャンスでバッターが打てる確率は、暴論なのかもしれないけど、
やっぱり半々の50%というのが正しいのではないかと思っています。
大谷翔平が賭けたものは何か?
話を元に戻しますが、歌手になりたい人の話。
世間一般の過去のデータで行けば、歌手になれる確率は数パーセントが関の山。
だけど、「自分にはその価値がある」と強く信じて、日々の成長をやめない人にとっては
その数パーセントのデータは意味があるでしょうか?
最後にお伝えしておきますが、
打っては40本以上のホームランを放ち、投げては10勝上げた二刀流で大活躍の大谷翔平。
二刀流で彼ほどの実績を上げた人間は後にも先にもありません。
過去のデータでは、成功確率0%です。
「自分には出来る」という自己効力感を高めていくのに必要なことは、
自分を信じる力と、成功確率のせめぎあいに勝つことです。
さて、あなたは何を信じてこの先を生きていきますか??
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