少し前から世間で流行っている(?)言葉で「親ガチャ」というワードがあります。
「親ガチャ」というのは簡単に言うと
親がお金持ちなら幸せになれる、親が貧乏だと幸せになれない
どの親に生まれるかによって人生はまるっきり変わる
というような意味です。
スマホゲームなどでお馴染みの、強力キャラを出現させるガチャになぞらえて出来た新造語のようなものです。
ってことで、親ガチャに見る運命論についてお話しましょう。
「親ガチャ」という言葉がこれほどバズったワケ
日本の教育費は非常に高いと言われています。
良い大学に行くために私立中学、私立高校に通わせる。。
そして、そのために高い授業料を払って、子供が受験で受かるようサポートする。。
こういった受験に向けた教育費用は当然ながらおカネの出どころは親です。
だから、高い教育費用が負担出来る高収入の親を持つことが、良い学校に進み幸せになるために必須なこと。。という理論です。
「東大生の親の6割以上は年収950万円以上」という「データ」もあって、薄々「うちは貧乏人だから東大などの難関大学には行けっこない!」と感じていた人にとっては「やっぱりな」と思わせる答え合わせになったと思います。
東大生の親の62.7%が年収950万円以上だ。一般群では12.3%しかいないことを考えると、極めて高い比率と言える。職業をみると東大生の父親の43.4%は管理職で、こちらも一般群(3.6%)とは大きな隔たりがある。
NEWSWEEK日本版 https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/09/6950.php
データが物語るストーリー(運命)に屈服したままで良いと思えるか
こういった確たる証拠やデータがありますから、傾向としてはやっぱり裕福な家庭に育った人は良い進路に進めるということは言えるのでしょうね。
あくまで「傾向」の話ですが。
親ガチャって、あってしかるべきレベルの親の愛情を受けられなかったり、最低限の教育を不幸に受けられなかった人にとっては、「そうそう!分かってくれてる!」と感じることのできる癒しのワードだったりするのでしょう。
「自分が努力しなかったワケではない」
「努力しようにもその環境が無かった」と。
データはデータとして、傾向を語る真実だとして、親ガチャの文脈から抜け落ちているのが「では、自分はどうするか??」という視点です。
データが紡ぎだす、必ずしも真実ではないストーリーに身をゆだねて、人生をコントロールできないものとして捉える、、、
そのスタンスでホントに幸せになれるのか、という話です。
「運命論」から脱して自分の人生を主体的に生きる
多くの宝塚スターを輩出してきた宝塚音楽学校は難関中の難関で競争率20倍を誇る狭き門です。
そこに挑む人たちのマインドは「20倍だから受かりっこない」というものはありません。
「20倍だけど、自分の夢のために挑む!」という視点があるわけです。
パラリンピックで活躍するアスリートの方々も、「体が不自由だから運動なんて無理」という思い込みの壁を飛び越えて、パラリンピックという晴れの舞台に到達したと言えます。
難しい条件にありながら、高いハードルに挑む人たちにとって「自分の人生はこうだったから」という「運命論」に用はありません。
「条件や環境は厳しいけど、どうしたら夢にたどり着けるか??」という視点があるのみです。
心理学者のアドラーは、現在の自分の有り様の原因を過去の事柄に結び付けて考える「運命論」を否定しています。
「こんな境遇だったから良い人生は望めない」
という考えは、今の自分を肯定するため(慰めるため)に都合が良く、もっともらしい理屈を探してきて、言いつくろってるだけ、というワケです。
言い訳を自分自身にしても虚しくなるだけ。
「どうやったら人生が上向くか」
その視点を持って、主体的に人生に向き合ったほうがこれからの先を考えれば絶対良いはずです。
「親ガチャ」より「自分ガチャ」
自分に期待をもって生きていきましょう!
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